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「栄養バランスを大切にしましょうね」
健診や診察の場で、私たち小児科医がそうお伝えすることは少なくありません。しかし、その言葉に対して返ってくるのは、ほとんどの場合、深く長いため息と共に発せられる、切実なひと言です。
「先生、成長が盛んな子どもたちに栄養が大事なのは、重々わかっているんです。栄養士さんにも相談して、色々試してはみるんですが…」
「結局、うちの子は食べてくれないんです」
「お野菜は全部べーっと出してしまいますし、お肉もお魚も気分次第。もう毎日食べさせることを考えるだけで、本当に億劫で…。」
これは、私が日々の診療で数えきれないほど耳にしてきた、お父さん、お母さんからの魂の叫びです。「そうそう!うちも同じ!」と、今まさに頷いていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
「食べない」という悩みは、単なる好き嫌いの問題ではありません。そして、この記事は、その悩みを解決するためだけのものではありません。この記事は、「食べ物」という土台からお子さんの心と体のポテンシャルを最大限に引き出し、病気にならないというレベルを超えた、「最高の健康」を手に入れるための最初のステップでもあります。
完璧を目指す必要はありません。私たちの体を作る根本である「食べ物」と、もう一度新しい気持ちで向き合うために、「できることから一つずつ」という気持ちで、どうかリラックスして読み進めてください。
私たちの心と体は、すべて「食べたもの」を材料にして作られています。この当たり前のようで、最も重要な事実を受け入れることが、すべての始まりです。
ここでは、なぜ特定の栄養素がお子さんの心身のコンディションに直結するのか、体の内部で起きているミクロな世界の話をしましょう。私たちの体は、エネルギー通貨である「ATP」、感情や成長を司る「ホルモン」や神経伝達物質、そして気分のムラに直結する「血糖値の安定」といった要素によって動いています。そして、これらの司令塔とも言える栄養素が、「タンパク質」「ビタミンB群」「鉄」の三本柱なのです。
タンパク質は、筋肉や骨といった体の”基礎建材”であると同時に、脳内の神経伝達物質や、成長・感情を司るさまざまなホルモンの”原料”でもあります。タンパク質が不足すると、体の成長だけでなく、血糖値も不安定になり、イライラしやすくなったり、集中力が続かなかったりといった、心の不安定さにも直結する可能性があるのです。
ビタミンB群は、食事から摂った栄養を、体を動かす最も基本的なエネルギー通貨である「ATP(アデノシン三リン酸)」へと変換する、工場の”職人チーム”です。このATPがなければ、私たちは体を動かすことも、思考することもできません。また、タンパク質から神経伝達物質を合成する過程でも不可欠な存在です。
鉄は、全身に酸素を届けることで、ATP産生工場(ミトコンドリア)を活発に動かす”電力”のような役割を担っています。いくら材料と職人がいても、電力がなければ工場は動きません。「かくれ貧血」と呼ばれる鉄不足の状態は、元気のなさや注意散漫の大きな原因となります。
これら三本柱を意識することが、「最高の健康」への最も効率的な近道と言えるでしょう。
お子さんの「食べない」行動は、決して「わがまま」ではありません。多くの場合、子どもの正常な発達過程や、生理的なメカニズムに基づいた、ちゃんとした理由があるのです。その理由を知るだけで、保護者の方の肩の荷はぐっと軽くなるはずです。
✔️本能的な警戒心:「食物新奇性恐怖(フードネオフォビア)」
2〜5歳頃にピークを迎える、見慣れない食べ物への本能的な警戒心です。これは、人類が生き延びるために「未知のものは毒かもしれない」と避けてきた、本能的な防衛反応。初めて見る野菜を警戒するのは、むしろ正常な発達の証と言えるでしょう。
✔️自我の芽生え:「イヤ!」で自分を試している大切な時期
いわゆる「イヤイヤ期」には、「自分で決めたい」「親の言う通りにはなりたくない」という強い欲求が生まれます。食事は、その自己主張を表現する格好の舞台になります。「食べない」ことで、自分の意志を確かめているのです。これは自立への重要なステップです。
✔️味覚の発達:大人よりも敏感な子どもの舌
子どもの味覚を感じる細胞(味蕾)は、大人よりも数が多く、非常に敏感です。特に、ピーマンなどの「苦味(=毒のサイン)」や、お酢などの「酸味(=腐敗のサイン)」は、本能的に危険な味として避けるようにできています。大人が美味しいと感じるものが、子どもにとっては強すぎる刺激であることは珍しくありません。
✔️「お腹が空く時間」を作れていますか?
「お腹が空けば食べる」。これは食事の大原則です。日中の活動量が少なかったり、食事の直前にジュースやお菓子などを口にしていたりすると、当然お腹は空きません。食事の時間にお腹が空くような生活リズムが作れているか、一度見直してみましょう。
✔️便秘や体調不良が隠れていませんか?
お腹が張っていれば、食欲はわきません。便秘は子どもの食欲不振の非常に多い原因の一つです。また、風邪気味、口内炎、歯の生え始めなど、大人でも食欲が落ちるような身体的な不調が隠れている可能性も考えましょう。
✔️「食べなさい!」が逆効果になる心理
保護者の「食べてほしい」という強い気持ちは、時にお子さんへの無言のプレッシャーとなります。「一口でも食べさせたい」という親心がかえって食事を苦痛な時間に変えてしまい、「食卓=嫌な場所」というネガティブなイメージを植え付けてしまうことがあります。
✔️多くのご家庭が陥りがちな誤解
外来でよくお話を伺う中で、良かれと思ってやっていることが裏目に出ているケースがあります。
誤解①:「ご褒美作戦」の落とし穴
「これを食べたらデザート(動画)だよ」という方法は、短期的には有効に見えます。しかし、これを繰り返すと、食事は「ご褒美のために我慢するもの」となり、食べること自体の楽しさが育ちにくくなります。
誤解②:他の子との比較
「〇〇ちゃんは、もうこんなに食べられるのに…」という言葉は、百害あって一利なしです。成長のペースも、食の好みも、一人ひとり違って当たり前。比較は、保護者とお子さん両方の自己肯定感を下げてしまいます。
お子さんの「食べない」には、必ず理由があります。まずはその理由を探り、共感してあげることから始めましょう。
目先の「完食」ではなく、お子さんが生涯にわたって食と良好な関係を築くための「意欲」を育むことを目指しましょう。
食事における「親の役割(何・いつ・どこで)」と「子どもの役割(食べるか・どれだけ食べるか)」に、明確な境界線を引く考え方です。子どもを信頼して任せることで、子どもは自分の体の声を聞く力を育みます。
栄養摂取よりも「食事は楽しい」という体験を重視しましょう。手づかみ食べは、脳の発達と自己効力感を育む最高の「食育」です。
「自分でやりたい!」という自我を尊重し、「選ばせる」ことで満足感を与えましょう。遊び食べは「学び」と捉えつつ、時間のメリハリをつけることが大切です。
朝食で生活リズムの土台を作りましょう。給食の悩みには寄り添い、家庭を「安全基地」にしてあげてください。買い物やお手伝いなど、「食育」を親子のコミュニケーションの時間にしましょう。
理論を日々の生活に落とし込むための、超具体的なアイデア集です。「これならできそう」と思えるものを一つでも見つけてください。
✔️工夫①:苦手な食材は「刻む」「混ぜる」「隠す」
ピーマン、にんじん、きのこ類など、特定の野菜が苦手なお子さんは多いものです。そんなときは、無理にそのままの形で食べさせようとせず、調理法を工夫してみましょう。
ハンバーグ、餃子、ミートソース、カレー、お好み焼きなどは、苦手な食材を細かく刻んで混ぜ込みやすい「神メニュー」です。お子さんが好きな味付けの中に紛れ込ませることで、気づくずに栄養を摂ることができます。第1章でお話ししたタンパク質・鉄・ビタミンB群が豊富なレバーも、ペースト状にして少量ハンバーグやミートソースに混ぜ込むのがおすすめです。
✔️工夫②:型抜きやピックで「見た目」を楽しく演出する
子どもは「目で食べる」天才です。いつものにんじんやチーズが、星やハートの形になっている。ブロッコリーに動物のかわいいピックが刺さっている。たったそれだけのことで、「なんだか楽しそう!」と手を伸ばしてくれることがあります。今は100円ショップなどでも、手軽にかわいい調理グッズが手に入ります。お子さんと一緒に選んでみるのも良いでしょう。
✔️工夫③:同じ食材でも「調理法」を変えて再チャレンジ
「うちの子は、じゃがいもが嫌い」と決めつけていませんか?もしかしたら、ホクホクした食感が苦手なだけで、カリカリに揚げたフライドポテトや、マッシュポテトにすれば食べるかもしれません。
パサパサした鶏むね肉が苦手なら、片栗粉をまぶしてしっとり焼いてみる。生の人参がダメなら、甘く煮たり、ポタージュにしたりしてみる。調理法=食感です。一度ダメでも諦めず、角度を変えて何度も食卓に出してみることで、ある日突然食べてくれることがあります。
✔️工夫④:家族みんなで「おいしいね!」と声に出して食べる
お子さんは、大好きなお父さんやお母さんの表情を実によく見ています。保護者の方が「今日も食べないかも…」と不安そうな顔をしていたり、眉間にしわを寄せていたりすると、その緊張感はすぐに子どもに伝わってしまいます。
ぜひ、大人が率先して「わあ、おいしいね!」「このお野菜、甘いね!」と笑顔で声に出して食べてみてください。「食事って楽しいものなんだ」というポジティブなメッセージが、何よりの食育になります。
✔️工夫⑤:「一緒に作戦」で当事者意識をアップさせる
第3章でも触れましたが、「自分も作った」という体験は、その料理への興味と愛着をぐっと深めます。レタスをちぎる、ミニトマトのヘタを取る、お米を一緒に研ぐなど、どんなに些細なことでも構いません。「〇〇ちゃんが手伝ってくれたから、今日のサラダは特別おいしいね!」と声をかけてあげれば、お子さんの自己肯定感も育まれます。
✔️工夫⑥:食事の前に「お腹が空く」活動を取り入れる
食事の大原則は「空腹」です。食事の1〜2時間前には公園で思いきり体を動かす、おやつは食事の2時間前までに終える、テレビを消して少しの時間でも親子で手遊びやダンスをするなど、生活の中に「お腹がペコペコになる時間」を意識的に作ってみましょう。
✔️工夫⑦:ポジティブな表現で興味を引く
「ピーマン食べなさい!」と命令する代わりに、「緑色でピカピカだね。どんな味がするかな?」と興味を引く問いかけをしてみましょう。「シャキシャキ」「ふわふわ」「もちもち」といった擬音語・擬態語を使って、食感の楽しさを伝えてあげるのも非常に効果的です。
✔️工夫⑧:食べなくても、「できたこと」を褒める
食べる・食べないという「結果」ばかりに目を向けてしまうと、親子共に苦しくなります。ハードルをぐっと下げてみましょう。「ちゃんとお椅子に座れたね、えらい!」「スプーン持てたね、かっこいい!」「にんじんさん、ちょんって触れたね、すごい!」など、食卓にいること自体や、食べ物に興味を示したプロセスを具体的に褒めてあげるのです。これにより、「食卓は自分を認めてもらえる安心な場所だ」とお子さんは感じるようになります。
✔️工夫⑨:食べ物に「ストーリー」をプレゼントする
子どもは物語が大好きです。「このお魚さんは、広い海を元気に泳いできたんだよ」「このトマトは、〇〇さん(農家さん)が『大きくなあれ』って言いながら、太陽の光をいっぱい浴びて育ててくれたんだって」など、食べ物に簡単なストーリーを与えてあげると、食材への親しみがわき、口に運ぶきっかけになることがあります。
そして最後に、保護者の方自身の「思考の転換」です。
✔️工夫⑩:「バランス」ではなく「今日のテーマ」で考えてみる
「栄養バランス」と漠然と考えるのではなく、「今日は鉄分を頑張る日!」と日替りのテーマを決めることで、食事の準備が気楽になります。ミルク中心でも構いません。そこに今日のテーマの栄養素を「プラスワン」する。その小さな「ちりつも」の積み重ねが何より大事です。疲れた日はコンビニのゆで卵やサラダチキンなどを賢く頼りましょう。お父さん、お母さんの笑顔こそが、最高の栄養です。
一人で悩み、心が折れそうになったとき、専門家を頼ることをためらわないでください。
【お子さんの場合】
一見すると性格の問題や、「育てにくさ」と感じることの背景に、栄養不足や、その背景にある発達面の特性が隠れているサインかもしれません。
✔️心のサイン:
イライラしやすい、癇癪(かんしゃく)が激しい、夜泣きがひどい、なかなか寝ない、やる気や元気がない
✔️生活のサイン:
朝なかなか起きられない、日中ぼーっとしていることが多い
✔️身体的なサイン:
お腹の調子が悪い・お腹をよく痛がる、頭痛がある、母子手帳の成長曲線から体重や身長の伸びが外れてきた、体重が減っている、顔色が悪く目の下にクマがある、頻繁に口内炎ができる、肌がカサカサしている
✔️発達面のサイン:
極端な偏食や強いこだわり、コミュニケーションの一方通行など、発達障害が疑われるような気になる点がある
【保護者の方の場合】
そして、それはお子さんだけの問題ではないかもしれません。栄養不足は、日々頑張っている保護者の方ご自身の心身にも影響を及ぼします(実は、保護者の方こそ「隠れ栄養失調」が原因のことが多くあります)。
✔️とにかくエネルギーが出ない、かったるくてしょうがない
✔️ささいなことで、いつもイライラしてしまう
✔️うつ病に近いほど気分が沈んでしまう、何に対しても落ち込みやすい
✔️仕事や家事に集中できない、頭がスッキリしない
忙しい毎日の中、ついお子さんが食べたがるパンやおにぎり、麺類といった手軽な炭水化物中心の食事になってしまうことは、よくあることです。炭水化物は素早く吸収されエネルギーになりやすいのですが、そればかり食べていると、心と体を作る上で本当に大切なビタミン、ミネラル、そしてタンパク質が不足してしまいます。
先ほど挙げたような一見すると原因不明の心身の不調は、お子さんも保護者の方も、こうした栄養不足が原因となっている可能性が非常に高いのです。
簡単な食事の記録、可能であれば食事中の様子の短い動画、そして何よりも保護者の方の「何に一番困っているか」というお気持ちを、ぜひお聞かせください。
私たちは、ご家族に寄り添う「伴走者」でありたいと考えています。医学的な問題がないかを丁寧に診察した上で、ご家庭の状況に合わせた、具体的で実現可能な目標を一緒に見つけていきます。
その過程で、どうしても食事だけでは特定の栄養素の補充が追いつかないと医学的に判断した場合には、あくまで食事の土台を補う「サポート」として、お子さんにとって安全性の高い医療用のサプリメントや栄養補助食品を、補助として活用するご提案をすることもあります。しかし、それは基本である食生活の土台があってこそ。まずは、ご家庭の状況を丁寧にお伺いすることから始めさせてください。
当院では、分子栄養学の視点で、必要に応じて血液検査で栄養状態を客観的に判断し、ご家庭に合わせた食事やサプリメントの具体的なご提案をすることも行っています。
この長いガイドを、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
もし一つだけ覚えておいていただけるとしたら、それは「完璧な食事よりも、笑顔の食卓を」ということです。
お子さんの「自分で食べる力」を信じて、どうか長い目で見守ってあげてください。今日の一口、明日のひとさじ、その日々の小さな「ちりつも」が、お子さんが生涯にわたって最高のコンディションで輝くための、何より強固な土台となることを、私たちは確信しています。
この記事が、あなたの心を少しでも軽くし、明日からの食事の時間を、ほんの少しでも温かいものに変えるきっかけとなれたなら、これ以上の喜びはありません。
当院では、より専門的な栄養相談を個別で承っております。必要に応じて詳細な血液検査を行い、お子さん一人ひとりの栄養状態を客観的に評価した上で、最適な食事内容やサプリメントのご提案をいたします。
ご希望の方はお電話にて、「栄養相談希望」とお伝えください。
慶應義塾大学医学部卒業
小児外科学会専門医、小児外科指導医、医学博士
小森こどもクリニックでは、成長の感動や喜びをお子さん ご家族と分かち合い、楽しく安心して子育ができる社会を創ることをビジョンに活動しています。